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名古屋家庭裁判所 昭和38年(家)1906号 審判 1965年8月16日

申立人 島田清一(仮名) 外六名

被相続人 藤田弘(仮名)

主文

申立人等の本件申立を何れも却下する。

理由

申立人等の本件申立の実情

被相続人藤田弘(以下単に弘という)の父藤田二郎は昭和二〇年六月二日戦死し、又母藤田みかも昭和三〇年四月四日死亡した。弘は二郎、みか夫婦の長男として昭和一六年六月二日出生したが昭和三四年七月二四日死亡しその遺産として別紙目録(一)記載の不動産が残されたが法律上相続人がなく同年一二月二五日弘の伯父にあたる佐野市男が相続財産管理人に選任された。申立人等は何れも弘の相続人ではないが夫々傍系の親族関係を有し申立人甲野久男同甲野松男は何れも弘の母みかの弟、同瀬戸竹男は弘の父二郎の姉の夫吉郎の子、同島田清一は二郎の姉なみの夫、同佐野治男は二郎の兄佐野市男(本件財産管理人)の長男、同田村安男は二郎の姉うめの夫、同藤田勇は二郎の母いとの弟藤田松男の孫である。ことに二郎の母いとは佐野治吉と婚姻しているが治吉は明治二九年一月一二日婿養子縁組により藤田家に入り明治三一年一一月二四日いとの兄藤田松男家から分家して一家を創立した。又、治吉、いとの長男市男は治吉の実家佐野家の一員佐野しずと入夫婚姻をして佐野家に入り佐野家と藤田家とは特別の関係にある。且つ二郎の妻みかは甲野文吉の長女であつた関係上甲野家は藤田二郎家より本家として尊重されている。その他の申立人等も前述するように藤田家と縁故関係があり弘の生前中日常何かと協力し世話をして来た。弘は両親に早く死にわかれ妹道子も幼折し子供のころから病弱で農業に従事することもできなかつたため母みか死亡前一〇年位は申立人等親族一同が常にこれを応援し、先祖伝来の耕地を維持して来た。又、昭和二八年以降申立人等は下記のように弘及び母みかのため出費している。

島田清一 昭和二八年 六月 五日   一〇万円(医療費)

田村安男 〃 二九年 五月二〇日   一二万円(〃)

甲野久男 〃 三一年 一月から

甲野松男 〃 三四年 七月一五日まで 三〇万円(〃)

瀬戸竹男 〃 三〇年 四月一〇日    八万円(衣服費)

藤田勇  〃 二八年一〇月       八万円(葬儀費)

申立人等及び財産管理人佐野市男が弘の死後藤田家の名称を維持しその遺産を保全した事実は鳴海町当局もこれを認め、理解と同情とをもつて対処し昭和三八年二月申立人等が現に耕作中の弘の遺産である農地を申立人等及び佐野市男が耕作することを承認した。因みに鳴海町当局より申立人等及び佐野市男が耕作権を認められたのは別紙目標(二)記載の通りである。

以上のような事情を綜合して申立人等を民法第九五八条の三による特別縁故者として弘の遺産を別紙目録(二)に記載するように(但し佐野市男耕作分については申立人佐野治男に対し)夫々分与されたい。

当裁判所の判断

昭和三四年家第二九三六号相続財産管理人選任事件、同三七年家第一六四三号相続人の不存在による財産管理人の権限を超ゆる行為許可事件、同年家第二五九九号相続人捜索公告申立事件の各記録、本件記録添付の戸籍謄本、当庁調査官平松巖雄の調査報告書、佐野市男に対する審問を綜合すると先づ被相続人弘、申立人等及び相続財産管理人佐野市男の身分関係は別紙目録(三)の通りである。

次ぎに申立人等は弘が生前先天性心臓疾患のため幼少より病弱でありその父二郎が第二次大戦中比島沖で戦病死し後祖母いと、母みからが女手で農業経営に手が廻らず生活に追われるようになつたため昭和二七、八年頃から申立人等の親族が世話をして来たこと、またその間弘の家族のため医療費、葬儀費、法要費なども支出し田畑の維持管理も夫々が分担し肥料代等の管理費を支出したこと、但し耕作によつてえた収益をそれらの一部に充当していたことがうかがわれる。-昭和三四年(家)第二九三六号事件における甲野松男に対する当庁調査官徳武登志子の調査報告書参照-。

そして申立人等及び佐野市男は弘の死亡後協議し昭和三四年鳴海町農業委員会の認定をえて各自が現に耕作中の農地につき別紙目録(二)に記載するようなわけ方で一時貸付による耕作権をえたこと、昭和三七年中佐野市男は本件遺産の一部が鳴海町道路計画にかかつた際これに該当する部分を同町に寄与する行為の許可をうけ(昭和三七年家第一六四三号相続人の不存在による財産管理人の権限を超ゆる行為の許可事件)同町に寄附したことが認められる。

申立人等は夫々親族として弘の生前からその母みか、祖母いと等を含めた不遇な家族のため協力扶助をして来たこと、そのため各自が医療費、葬儀費、法要費等を支出したことを理由に特別縁故者として各々に現に耕作中の上記各農地を分与させることを求めているが、申立人等が弘等家族のため立替え支出した金員が申立人等主張の通りの金額であつたとしても民法第九五七条の規定に基いて相続財産中から弁済を求めるべきであるにもかかわらず、これら債権を放棄することを本件申立の事情としている。しかし乍ら本件相続財産所在地は昭和三八年名古屋市に合併されて縁区となり日本住宅公団の設置したいわゆる鳴子団地ができてから附近一帯は住宅地として急激に開発され本件相続財産の一部も上記団地に近接しており、その他の農地もやがては宅地となる可能性もつよくその価額も農地とはいい乍ら相当高価であることも想像に難くない。

又申立人等及び佐野市男は昭和三七年一月九日協定書を作成して各自の耕作部分につき鳴海町農業委員会より農地法第三条に基く一時貸付の耕作権を認定されている(この耕作権の認定とひきかえに上記同町に対する道路敷部分の寄附行為が為されたものと推察される)がその小作料を相続財産管理人である佐野市男に支払つている事実も見当らない。そして申立人等が二郎戦死後病弱の弘をかかえた女世帯の農業経営を扶けて来たということも近隣に住む親族としていわば道義的にも、また人情からみても通常の扶け合いの域を出ず申立人等が主張する弘の特別縁故者という実情もむしろ藤田家と佐野家のつながりを配慮し両家の親族が相寄つて旧慣習の家制度をよりどころとし、且つ、弘の母みかの実家の立場をも考慮して本件相続財産の分配を親族会議式に講じたものと考えられる。

申立人等及び佐野市男が二郎、みかの相続人である弘の死亡後いわゆる藤田家の財産であるその遺産の散逸を防ぎ祭祀を承継する方途を残すため配慮している(尤も申立人等は藤田弘の祭祀の承継は申立人佐野治男の弟である申立外佐野宏男にさせる意向のようである。)心情は未だ古い生活感情に支配されがちな農家の同族意識として理解できないわけではないが上記認定事実から申立人等が被相続人弘にとり民法第九五八条の三に言う特別縁故者に該当するものとは認め難く、また、同条にいう相続財産の分与も本件申立の実情で申立人等が述べているような「家」制度的なものとは明らかに区別して適用されるべきものと判断する。

よつて申立人等の本件申立は何れも失当であるからこれを却下することとして主文の通り審判する。

(家事審判官 永石泰子)

目録<省略>

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